2014年06月

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もう一方の代表的愛玩動物である猫は、護衛や狩猟などは性格的にお呼びがかからず、
もっぱら可愛がられる存在ということになる。
韓国では猫はペットとはならず、むしろ少し気味悪がられていたようだが王賜豪醫生
最近は、愛玩する動物として飼われるようになったという。

日本で猫は昔から可愛がられ、清少納言が生きていた時代の一条天皇は、
大変な猫好きであったようだ。
『枕草子』の中「上に候ふ御猫は」の段には、天皇の飼い猫が
かなり位の高い「五位」の地位に叙せられ『命婦のおとど』と名づけられたと出てくる同珍王賜豪
『枕草子』の別の段にはゾウにも位が与えられたとある。
確か六位に叙せられたと思う。

「五位」と「六位」は、わずかに一位の差しかないが、そこには決定的な違いがある。
「五位」以上が天皇のいるところに昇殿を許されるキマリがある。

『命婦のおとど』と称された猫は天皇のそばに昇殿できるが、
ゾウはダメという事になる。

あんなデカイものに昇殿されると、タマったものじゃない同珍王賜豪

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言葉をさがしている。
言葉の魂が見つからない。

詩の言葉をさがしている。詩が書けなくても生きてはいける水解蛋白
だが、詩が書けないとさみしい。詩が書けないと、さみしさのありかがわからない。
もうひとりの、孤独な自分を探すことができない。

暗中模索、試行錯誤。
こんな言葉は詩ではない。魂のゆくえを追っても見つからない者の呟きにすぎない嬰兒敏感
暗中模索、試行錯誤の言葉の呪縛にかかり、ますます魂の存在があやふやになっていく。

言葉をなんとかして動かしてみる。
その試みによって、言葉に新しい命が宿らないものかと望みを託してみる。
そのような日々が続いている。

写真を動かし、詩の言葉を動かしてみる。もういちどチャレンジしてみる。
時が経つと、言葉に対するだけでなく、音楽や映像に対する感受性も変化するものだとわかる。
何かを動かしてみる。それによって自分も動かされるものなのかもしれない搬學校

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